繭雑玉記

自分用日常の記録。

父の余生

実家通い

息子に負担をかけるわけにはいかないので、

・土日のどちらかだけ行く

・連日は行かない

・平日は最大2日間

・行く行かないの判断は午前中にする

と自分ルールを定め、車を出してもらったり、電車に乗ったりして通った。

息子と触れ合う写真を残そうと決めた。

入院や積極的な治療などをせず自宅で過ごしていた父。

父はよくわからない名前のドリンクを飲んでいたので調べたら、父と同じ病気が治ったとの体験談が出てきた。民間療法とかいうのだっけ。父は諦めたわけではないとんかってほっとした。

ある日の帰り、父は孫の成長について、卒業式の日の先生のように語り出した。

嬉しかったのだが、まるで最期の言葉のようでわたしは泣いた。

この日以来か、意識して、「またね」と言って帰るようにしていった。

8/16(土)

介助がないと動くのが辛いようだった。母と一緒に立ち上がるのを手伝った。父はやせ細っていたが、思ったよりも重かった。力が入らず体重をほとんど預けた、というのが正しいのだろうが、わたしは見た目からの想像に反した重みを感じて少し安心していた。

冷蔵庫にトマトジュースがあった。基本家族は誰も飲まない。

「お父さん、トマトジュース飲むんだ」と母に声をかけた。「調子いいときはね」と返ってきた。

いつだったか、カレーうどんが食べたいというので買ってきたが、食べたのは一本だけだった。と母が言った。母を泣かせてしまった。わたしも泣いた。

横になった父が、すぐ横に寝かせた息子と触れ合っていた。

やせ細った父を写真に撮るのが怖かったが、夫に促され、シャッターを切った。

8/19 (火)

10時59分に息子が昼寝から目覚めた。これは行けということだと思い、暑い中実家へ。

体力がないとしゃべるのもままならないのだと知った。

横になってなんとなくテレビを見ているだけで、本を読むことも、iPadでネットサーフィンすることもしていなかった。

父は「iPhone」とつぶやき、「額のしわで蝿をつかまえる小説はなんだったか。調べてくれ」と言った。尾崎一雄の虫のいろいろという作品だった。

ドグラ・マグラを読破したことを伝え忘れた。

次会う時に話そうと思った。

8/20(水)

連日は行かないのでこの日は家。

前日、昼前にものすごく暑かったので、もっと早い時間に判断しようと思った。

正直、ずっと暑そうだったので、次に行くのは車を出してもらえる土曜かなと考えていた。

父は久々に梨を食べたと母からメールがあった。

9月もこの状態が変わらずだろうと思い、9月半ばに控えた息子のお食い初めをどうするか悩んでいた。