繭雑玉記

自分用日常の記録。

父の入院

8/21に日付が変わった深夜

ふだんは録画しているテレビドラマをついリアルタイムで見て、ふだんより遅い時間に布団に入った。

その日したトイレ掃除の仕上げを忘れていたことを思い出し、布団から起きて仕上げを行い、再び布団に入った。

それから25分ほど、寝入った頃にケータイが鳴った。弟からだった。

「メール見てないの?お父さん、病院にいるから」

いつかくる連絡を恐れ、ケータイはつねにほぼ満充電にし、肌身離さず持ち歩くようにしていたのに、たまたまそれを忘れたタイミングだった。

車を出してもらい病院へ。

父は自宅で心肺停止状態になり、蘇生していただいたらしい。人工呼吸器がついていた。手を握ったらあたたかかった。

家でそれが起きた時、いろいろお願いしていた訪問医に電話したところ、延命を拒否していた父の意思のもと「そのまま朝まで寝かせてください」と言ったそうだ。

「でも寝てるっていう表情じゃなくて」と母は言った。

母と弟で救急車を呼び、それまで心臓マッサージと人工呼吸をしたそうだ。

父の意思に反していたのかはわからないが、おかげでわたしはまだ生きている父に会うことができた。

あと数時間で…と担当医に言われたが、父は安定しているようにも見えた。

息子のこともあり、その日はそれぞれ帰った。

自宅にもどり、息子の寝かしつけが完了したのは5時前で、外は明るくなっていた。

寝て起きて、また車を出してもらって面会に行った。小さい子は本当は入れないとのことで、夫と息子には待っててもらった。

午後3〜4時と、6〜7時が面会時間だった。

その両方に行き、みんなでファミレスで夕食をとった。

父の余命は数時間から数日にのびていた。

はじめの連絡からまだ日付は変わっていない。ながい1日だった。

翌日。

面会できないのに息子を連れ出すのはなんだったので、一人で電車で面会に行くつもりだった。

弟から電話があり、「もう危ないから面会にくるなら3〜4時に来てください」と病院から連絡があったと伝えられた。全員で車で行くことにした。

面会にはおばも来た。

昨日とは違って、薄く開いたまぶたの向こうで黒目が動いていた。こちらを見ているような気がした。

手は冷えていたが、父は冷え性だったのでこんなもんとも思えた。

最後の最期は、小さな孫も面会を許された。

モニタの数値が徐々に減り、とくに血圧は血圧と思えない数字になっていった。

ちょうど4時に父は旅立った。

おばは「来れてよかった」と言った。心の中で、昨日、救急車を呼んだ判断に再び感謝した。

長い時間かかって、父は綺麗にしてもらい、霊安室へ一緒に行った。

わたしも弟も経験が少なく勝手がわからないまま、線香をあげ、ちーんと鳴るやつを叩いた。

その後のことは、葬儀社の方が親切に世話してくださった。

日程の提案と調整、遺体の安置、葬儀場の手配、火葬の手配。

帰り道、「お父さんは、孫がかわいいうちは死なないと思ってた」と母に言った。

父は、一緒に遊べる小学生中学年くらいまでの子どもが特に好きだった。そのつもりで言った。

母は、「孫より先に逝けないね」と言った。